日曜、京都へ向かうバスにゆられながら、
久しぶりに灰谷健次郎さんの本を読んだ。
前夜、父の本棚から選んだ一冊。
「子どもの隣り」
子の自殺について書かれたものがあり、それを
読み終えた後、しばらく頭の整理がつかなかった。
たぶん私は、「死」についてよく考えるほうだと思う。
もしかしたらそれは、近くに火葬場とお墓がある
環境で育ったからかもしれない。
昔から、誰かが亡くなるたび、
「何で私じゃないのだろう?」と思ってきた。
高校2年のとき、友達が父を亡くしたときも、
数年前、友達が死産をしたときも。
新聞やテレビで、天災、人災で亡くなった
ひとのことを知れば知るほど、
何で私は生きているんだろう?と思う。いまも。
同時に、私が生きている意味は何なんだろう?と。
もうずいぶん前のことだけど、
私には一生忘れられない出来事があって、
その数年後、そのことについてこう言われた。
「人間は前世の罪を償うために生きている。
亡くなる運命にあるとき、そのひとは
罪を償い終えたということだ。」
生きていることが幸せなのか、不幸せなのか。
・・・わからない。
でも、生きているからには、
出来ることを出来る限りやらなくちゃ、と思ってる。
そしていつもの問いに戻る。
いま私に出来ることは何だろう?