クリスマスイヴに立ち会って製材してもらう約束だったのに、
この日、No.9が手違いで挽かれてしまった。
もう一度、大きいままの姿で会いたかった。
挽かれる様を、最後の姿を、観ていたかった。
ひと月が過ぎたけど、未だに悔しく、悲しく、寂しい。
最近の「もの」は、そのものが出来上がる背景や
過程が見えづらいと日々感じていて。
だからこそ、今回この桜のことで動く間、
子どもたちに出来るだけ現場を見せ、
一緒に動き、起きたことを話してきた。
製材とは「木」が「木材」になることだと思っていて、
私の中ではとても重要な、過程のひとつだった。
ぜひ子どもたちに見せたかった。
私も、観たかった。
残念でならない。
製材機にかけられるとき、木はどんな想いでいるのだろう。